秋葉原無差別殺傷事件から7年 何も変わらなかった

今日で秋葉原通り魔事件から7年が経った。
犠牲者になった方のご冥福を心よりお祈りする。

[http://news.nicovideo.jp/watch/nw1631025?news_ref=top_latest:
秋葉原無差別殺傷事件から7年 「無念さ忘れず」現場に花
(ニコニコニュース) ]

この7年の間にネットに対する人の関わり方が変わったかと
思えばむしろ悪化しているように感じる。

ニコ生やLINE、Twitterが発達によって
過剰にまでコミュニケーションの強要とコミュニケーション能力の差異が
はっきりと分かるようになってしまった。

僕が、加藤智大死刑囚を知る為に、中島 岳志著の『秋葉原事件―加藤智大の軌跡』を読んだのは2年前の事だった。

加藤智大死刑囚は幼少のころに虐待されて事から
感情を相手に伝える事が難しくなり、行動でアピールするようになった。
そして、学校や職場でも怒った事を伝えられないまま
退学と退職を繰り返していた。

そのような状態で、彼は匿名掲示板にのめり込み
非モテキャラを演じる事で注目を浴びるようになった。
しかし、常駐する匿名掲示板は成りすましや荒らしによって
加藤智大死刑囚はネットの世界でも居場所を失った。

そして、現実でもネットでも居場所を失った彼は
事件を起こした。

事件から7年が経ったが
コミュニケーション能力の低い人がニコ生やLINE、Twitterが発達によって
救われたかと言われれば否と答える。

結局はコミュニケーション能力の差異が可視化されただけになった。
そして、そのコミュニケーションは『終わらないスクールカースト』が続くだけの
世界だった。
事件のきっかけの一員であった、成りすましや荒らしが巧妙化されて
人が人を裁く事が日常化した。
川崎の事件にみられるように、中高生にとってLINEが必須になり
24時間『終わらないスクールカースト』が続いた。

匿名のネット世界は、スマホの普及により子供からお年寄りが参加するようになった。

コミュニケーション能力の低い人がLINEとTwitterが使用しても
フォロワー数やフレンドの登録数等が可視化されて
その差異に悩むようになった。

加藤智大死刑囚が事件を起こさずにLINEとTwitterを使用したならば
自分に注目される為に、『過剰なアピール』を起こしたと思う。

それは、加藤智大死刑囚のような若者が
注目される為に犯罪行為をアピールするようになったからだ。

Twitterの犯罪自慢する若者、ドローンの15歳少年たちは
その行為に関わらずニュースで注目されるようになった。

承認要求を満たす為に『過剰なアピール』をする若者は
減る事は無いだろうし、もっと増えると思う。
しかし、『過剰なアピール』で救われる事は無いし
コミュニケーション能力の差異は変わらない。

また、加藤智大死刑囚の掲示板に荒らしや成りすましをして
間接的に犯罪を促す人が増えてしまったのも印象的だ。

ドローンの15歳少年の囲いは
意識的に犯罪行為をさせて、意図して『過剰なアピール』をするように促していた。

加藤智大死刑囚のような人に投資して
自分の手を汚さずとも犯罪を起こす事が可能になったのだ。

承認要求を満たす為に、他人を操って行為を起こさせるのは
一番悪質であると思う。

2015年の日本社会が加藤智大死刑囚のような人に対して
『過剰なアピール』を実行する動機(LINEとTwitterなど)と
『過剰なアピール』を表現する場(ニコ生など)がある事に
自覚する事が大事である。
そして、『過剰なアピール』で救われる事が無い事を
もっと知らしめる必要があると思う。