秋葉原通り魔事件から5年

今日で秋葉原通り魔事件から5年が過ぎた。
犠牲者の冥福をお祈りする。
この事件を通してオタクや非モテ等について
考える事があった。
マスコミやネットで加藤智大被告は様々な意見を通す為の道具になった。
派遣労働や匿名掲示板、オタクそして秋葉原だ。

事件そのものよりも、それを語る人の思惑が見えてしまうのも
この事件の問題だった。
匿名掲示板等においては、加藤智大を様々な属性を結びつける事で
嫌いな人を叩いていたように思える。

彼が人を殺さないで生きるにはどうすれば良かったのだろうか。

1 怒りをアピールする
加藤智大被告を知る為に、中島 岳志著の『秋葉原事件―加藤智大の軌跡』を読んだ。

彼は、子ども時代に親から過干渉で教育されていた。
勉強や作文にまで加藤は親に干渉されていた。
親に反論すると暴力を振るわれ、自分の意思を伝える事ができなくなった。

高校から彼は勉強についていけなくなり、親に反抗するようになった。
高校卒業後、自分の意思で自動車短期大学に入学した。
自動車短期大学に入学したら車を買ってもらえると親と約束したが
親は約束を反故した。

それから加藤は親に対して怒りを言葉ではなく
怒りをアピールするようになった。

自動車短大で整備士の資格を取らない事で
怒りをアピールしたのだった。

以後、彼は職を転々とした。
一時の怒りをアピールする為に仕事を辞めていったのだ。

彼は怒りを言葉にする事を諦めていた。
これが事件の発端だったのである。

2 友人関係

彼には地元の友人がいた。
家出をして泊めてくれる友人がたくさんいたのだ。

辞めた仕事の同僚も彼の真面目さを評価していた。
ときには同僚と飲みに行ったり
秋葉原に一緒に買い物をしていた。

大手の匿名掲示板ではなく
小規模な匿名掲示板を利用して
ネットの友人も築いていたようだった。

一見、孤独で孤立しそうな印象を持っていたが
彼の交友関係は広かった。

3 ネタと本音
友人関係が広くても
彼は本音を語り合える友人関係を求めていた。

掲示板で非モテもキャラクターを演じる事で
多くのレスをもらい本音を語り合える友人を
探していた。
それは、子供時代に失われた言葉で感情を伝え方法を
取り戻しているかのようだった。

しかし、ネタとして用意していた自分のキャラクターは
他人になりすまされてしまう。

自分が代替可能な者と知った彼は
自分のキャラと本当の自分の区別が無くなってしまった。
ネタがベタになり、非モテが自分の中で本当になってしまった。

それから知り合った女性に彼氏がいた事で
裏切られたと思うようになり
ひたすらに本当の自分を承認してくれる
本当の友人を探し続けていたのだ。

しかし、自分の居場所だった掲示板が荒らされた事が原因で
ネットの友人も離れていった。

なりすましや荒らしに対して管理人に伝えたが取り合ってもらえなかった。

そして、彼は匿名掲示板の先にいる不特定多数の人間に
怒りをアピールした。

アピールしたのは殺人だった。

4 純粋さが害悪でしか無い事
以上が、中島 岳志の取材した加藤智大の実像だ。

加藤智大の求めていたのは『本当の友人』だった。
彼の『本当』や『真実』は幼い純粋さでしかない。
掲示板には本音の付き合いなどあるものか。
ライ麦畑でつかまえて』の主人公ホールデン・コールフィールドのような
純粋な価値観しか彼は持っていなかった。

大人はある程度の建て前と少しの本音を使い分けなくてはならない。
それは処世術として学ばなくてはいけない。
僕はガンダムニュータイプ的なわかり合いが嫌いだ。
友人や恋人でも見せたくない事を見せる必要は無い。

加藤は女友達と会う事が積極的であったが
感情の伝え方や会話が受身であった。
加藤に彼女がいたといても、DVや感情の押し付けをして
別の殺人事件を起こしていたと思う。

加藤智大は怒りの原因を他人に求めようとした。
怒りそのものが他人であるかのように
怒りを殺していった。

感情は言葉でしか伝えられない。
怒りを言葉ではなく手段で伝えようとしたのが間違いだった。

他人と分かり合えないからこそ言葉が必要だ。
怒りの感情は単なる衝動であって
自分のなかで消化しなくてはならない。
消化した上で怒りに対する行動をする。
そのプロセスは学習しなくてはならない。

純粋な感情は害悪でしか無い。
10代、20代の感情は酩酊状態に似ている。
醒めてしまえば、怒りの原因がくだらなかった事に気づく。
一時の感情で人生の選択を間違っていけない。

分かり合える『本当の友達』など存在しない。
それは『本当の自分』が存在しないのと同じだ。

自分の居場所や友人は時と感情によって変化する。
僕には付き合いの長い友人がいるが
彼らが常に変化しているからこそ今も友人なのだ。

子供のままの純粋なままで付き合っていたら
縁を切られてしまうし、それを理想にして生きていく事は難しい。

5 感情と言葉

加藤智大に対する感情の受け皿が匿名掲示板であったは不幸である。
彼が怒りを言葉にする方法を取り戻す場所として
匿名掲示板やまとめサイトでは不適格だ。
匿名掲示板は勝ち組やリア充以外は不幸であるという思想で動いている。
加藤智大は非モテのキャラクターを演じなくてはいけなかった理由は
不幸なキャラでないとレスがもらえないからだ。

不幸なキャラに対する同情は、彼らの優越感を満たすものでしかない。
匿名掲示板の思想は誰かを絶望させて、
やる気を失わせる事が喜びであるという思想だ。
不幸な人ほど幸福であると言う誤った思想である。
諦観する事、他人に期待しない事が生きるうえで必要なのかもしれない。
でも、その生き方そのものが不幸であると思う。

みんなで不幸であるより、みんなが幸福を願う方がいい。
匿名掲示板の言葉が皆を幸福にさせるものであって欲しいのだ。

残念ながら、加藤智大が人を殺す事によって
自分に注目してもらう欲求が達成されてしまった。
TVやネットによって承認欲求が満たされてしまったのだ。
加藤智大みたいな、どこにでもあるような無個性な人格が
唯一無二の個人に昇華されてしまったのだ。

その無個性な個人は代替可能でいくらでも替えが利く。
結婚相手だっていつかは代替可能になっていく。
多くの人はそれを自覚しながらも、自分だけが唯一無二であると信じる事を知る。

もし、加藤智大が『ライ麦畑でつかまえて』読んでいたなら
もし、彼の怒りに対する言葉が文学にあったなら
もし、自分の純粋さが唯一無二でないと自覚できていたなら
あの事件の起きなかったと思う。