人がニートを辞めるためには 10  就職活動と言う名の地獄

面接は椅子取りゲームだ。
誰かが無職になれば自分に内定が巡ってくる。
たくさんニートが増えれば僕の内定率が変わる筈だ。

そう、この社会は誰かが働かない事で誰かが働けるようになるのだ。

ハローワークに通う事がニート脱出の第一歩だった。
検索端末で仕事を探しては逃げ出して、結局面接に行けなかった。
精神の脆弱さは誰にも負けなかった。
いざ面接に受けると不採用になる、不採用になると社会に捨てられてと思い込む。
地獄のループが永遠に続くかのように思えた。

2 今日からハローワーク仲間だ

そんな僕を助けてくれたのは、転職希望の友人だった。
彼は自営業が続けられなくなり、転職をする為にハローワークに通う事になった。

僕は彼と共にハローワークに通うようになった。
彼は免許と車を所有していたので交通費で助けてもらった。

ハローワークに一緒に行く事で、検索端末から面接へ行けるようになった。
僕は友人に弱い所を見せたくなかったので、精神がタフなように演じていた。

そして、僕は面接と戦えるようになった。
一緒に求職できた事と多くの助言を頂けた事は今でも本当に感謝している。
僕が誤った方向に進まなかったのは友人のお陰だった。

3 年下の上司でも指示に従えますか?

僕は、適正のある仕事から面接を受けた。
なかには書類選考で落ちたものもたくさんあった。

僕は近所のスーパーの契約社員の面接を受けた。
この時に面接官に受けた質問はこれだ。

「あなたは、年下の上司でも指示に従えますか?」

面接官は僕より年下だった。
そう、僕はもう新卒ではなかったのだ。
ニートとフリーターをして2年余り
新卒の社会人と差がついてしまった。

僕は仕事の先輩後輩に年齢は関係ないと思っていたので
問題ないと答えた。
この程度の問題の解決など、40代のバイトの先輩から教えられていた。
バイトの先輩は、年下の管理職でもきちんと指示に従っていた。

就労の苦しい人間関係よりニートをしている事の方が苦痛だった。

4 それでも阻む地域の壁

面接は受けていたが、僕も友人も地方の雇用情勢のせいで
内定が得られなかった。
良い仕事は経験者や人間性の高い人に取られていった。
残酷な椅子取りゲームだった。
「お前らニートをしていろ!」と叫びたかった。

ハローワークに通い続けて3ヶ月経った。
僕も友人も名古屋で期間工をやろうと考え出した。

5 就職セミナー

困り果てた僕はハローワークの紹介で
市と某企業が主催する就職セミナーに参加する事になった。
僕は友人を誘って参加希望をハローワークの職員に伝えた。
まだ、春が遠い2月の事だった。